浦壁伸周の第5経済学原理
情動的豊かさを高揚する社会を目指すことが、本来の経済学であるべきである。
いわゆるアダム・スミス以来の経済学に代わる新しい指導原理として、他動的哲学が望まれる。
物心の他者利益最大化を目指す経済学が、21世紀の新しい経済学。
いわゆるアダム・スミス以来の経済学に代わる新しい指導原理として、他動的哲学が望まれる。
物心の他者利益最大化を目指す経済学が、21世紀の新しい経済学。
浦壁伸周の第4経済学原理
今日の拝金主義を容認する経済学の貧困、人間を手段化し、モノ化することから生まれる人間を疎外する貧困、ここに経済学の病根がある。
経済学は世界の問題解決に役立っているか。
残念ながら無力だ。
経済学は世界の問題解決に役立っているか。
残念ながら無力だ。
浦壁伸周の第3経済学原理
さて、人間は非合理的、情動的、文化的存在。
このように人間を捉えれば、企業の行動原理が変わる。
企業は利益最大化から、非合理性や情動や文化を基にした行動をとる存在として人間を眺め、これに迎合した価値を生み出す行動をとるようになるだろう。
それは、社会のよりよき在りようを哲学し、これを市場として創造すること。そして、この実現のための、市場に於ける社会的価値創造へと向う。
この時、社会的価値は哲学に依存する。
何が人々にとってよりよき意味となるか、価値となるか、この問い、この哲学が、新しい社会価値を創造する。
即ち、企業経営者は経済人である前に、哲学者でなければならない。
このように人間を捉えれば、企業の行動原理が変わる。
企業は利益最大化から、非合理性や情動や文化を基にした行動をとる存在として人間を眺め、これに迎合した価値を生み出す行動をとるようになるだろう。
それは、社会のよりよき在りようを哲学し、これを市場として創造すること。そして、この実現のための、市場に於ける社会的価値創造へと向う。
この時、社会的価値は哲学に依存する。
何が人々にとってよりよき意味となるか、価値となるか、この問い、この哲学が、新しい社会価値を創造する。
即ち、企業経営者は経済人である前に、哲学者でなければならない。
浦壁伸周の第2経済学原理
人間は経済に還元出来ない。
つまり、人間を経済的価値に換算して経済的計数で推し計ろうとすること自体、理論の破綻がある。
例えば、人間は合理的に行動することを前提に理論が構築される。
しかし、人間は全く合理的に行動することはなく、全くの恣意性のもとにあり、感情によって行動する。
しかるが故に、経済学の前提は崩壊している。
閑話休題
民主党は子供手当をばら撒く。
これが消費を押し上げ、景気を好転させるという。
しかし、消費者は、民主党の思惑通りに収入あった分を支払に廻すという合理的な行動をとるだろうか。
消費者が消費を拡大するのは、消費を拡大しても安全である。生活防衛が出来る。という考え方に至った時だけである。
つまり、民主党の思惑から見た合理的行動は、まずとらない。
感情的に、つまり、生活の見通しについて不安や心配がある時は、その感情の下で行動する。
民主党の思惑はハズれ、消費者は子供手当を貯蓄に回すだろう。
従って、これによる消費の拡大はない。
将来が安心であるという政策を具体的に打ち立てない限り、消費行動は拡大しない。
つまり、人間を経済的価値に換算して経済的計数で推し計ろうとすること自体、理論の破綻がある。
例えば、人間は合理的に行動することを前提に理論が構築される。
しかし、人間は全く合理的に行動することはなく、全くの恣意性のもとにあり、感情によって行動する。
しかるが故に、経済学の前提は崩壊している。
閑話休題
民主党は子供手当をばら撒く。
これが消費を押し上げ、景気を好転させるという。
しかし、消費者は、民主党の思惑通りに収入あった分を支払に廻すという合理的な行動をとるだろうか。
消費者が消費を拡大するのは、消費を拡大しても安全である。生活防衛が出来る。という考え方に至った時だけである。
つまり、民主党の思惑から見た合理的行動は、まずとらない。
感情的に、つまり、生活の見通しについて不安や心配がある時は、その感情の下で行動する。
民主党の思惑はハズれ、消費者は子供手当を貯蓄に回すだろう。
従って、これによる消費の拡大はない。
将来が安心であるという政策を具体的に打ち立てない限り、消費行動は拡大しない。
浦壁伸周の第1経済学原理
経済学が提示している経済の原理に、利益の最大化がある。
企業の目的は利益の最大化だ、という伝統的主張が、全く企業の方向を誤らせ、企業の長期的な生存に関するリスクを生み出すものはない。
利益の最大化は、企業にとって最も大事な長期的生存、又は成長に関する戦略を排除する。もしくは、相容れない。
例えば、研究開発戦略では、10年を越える期間を必要とするものもある。
しかも、それは成功するかどうか分からないものも多い。
しかし、長期的生存のためには、それらの長期的見通しの下での投資が不可欠である。
しかし、これらは利益最大化の考え方に反する。
そもそも企業は、利益の上に存在していない。
企業の生存はキャッシュフローの潤沢と、市場の受容の拡大(市場創造)によって保証される。
これらは即ち、企業の生存の基盤は、全くの他動性の内にあるということである。
企業が人々と社会と他動的関係である時、即ち人々や社会に対してよりよい価値を提供し、これらが受容される時、企業としての存在が許容され、受容され、それが故に市場は創造され、売上が生まれる。
利益が他動性を生み出すことはない。
他動性とは、interactionである。
人々と社会との本質的な相互依存性であり、この時、企業としては人々により高い価値を提供し、それが人々に社会に受容され、且つ、それが人々と社会をよりよく、より豊かにすることである。
この結果、人々、社会の受容としての売上が保証され、企業のコストが保証される。
ドラッカーの言葉を借りれば、利益は存在しない。
利益とは、単なる売上とコストの差分である。
ドラッカーは、存在するのはコストであると主張している。
いずれにしろ、利益最大化目的説は、経済学の誤りである。
企業は利益最大化を目指すな。
他動性の最大化を目指せ。ということになる。
企業は長期的な展望の下で、何が他動的かを哲学し、この哲学に従って長期戦略を練り、これを遂行して行けば、企業は社会にとって有用性を獲得し続け、時代を超えた存在になるだろう。
つまり、長期的継続性と成長性を手に入れるだろう。
企業の目的は利益の最大化だ、という伝統的主張が、全く企業の方向を誤らせ、企業の長期的な生存に関するリスクを生み出すものはない。
利益の最大化は、企業にとって最も大事な長期的生存、又は成長に関する戦略を排除する。もしくは、相容れない。
例えば、研究開発戦略では、10年を越える期間を必要とするものもある。
しかも、それは成功するかどうか分からないものも多い。
しかし、長期的生存のためには、それらの長期的見通しの下での投資が不可欠である。
しかし、これらは利益最大化の考え方に反する。
そもそも企業は、利益の上に存在していない。
企業の生存はキャッシュフローの潤沢と、市場の受容の拡大(市場創造)によって保証される。
これらは即ち、企業の生存の基盤は、全くの他動性の内にあるということである。
企業が人々と社会と他動的関係である時、即ち人々や社会に対してよりよい価値を提供し、これらが受容される時、企業としての存在が許容され、受容され、それが故に市場は創造され、売上が生まれる。
利益が他動性を生み出すことはない。
他動性とは、interactionである。
人々と社会との本質的な相互依存性であり、この時、企業としては人々により高い価値を提供し、それが人々に社会に受容され、且つ、それが人々と社会をよりよく、より豊かにすることである。
この結果、人々、社会の受容としての売上が保証され、企業のコストが保証される。
ドラッカーの言葉を借りれば、利益は存在しない。
利益とは、単なる売上とコストの差分である。
ドラッカーは、存在するのはコストであると主張している。
いずれにしろ、利益最大化目的説は、経済学の誤りである。
企業は利益最大化を目指すな。
他動性の最大化を目指せ。ということになる。
企業は長期的な展望の下で、何が他動的かを哲学し、この哲学に従って長期戦略を練り、これを遂行して行けば、企業は社会にとって有用性を獲得し続け、時代を超えた存在になるだろう。
つまり、長期的継続性と成長性を手に入れるだろう。

